「行間を読む」の意味―――『感じ取る』ことって、素敵ですね(*´ω`*)
2020/03/18
「行間を読む」の意味
―――『感じ取る』ことって、素敵ですね(*´ω`*)
こんにちはー!青霄書法会の武部です!
以前、俳句の話をさせていただいた際、
限られた文字数の中で、情景を伝えるために、
余韻を残したり、背景を汲んで想像したりすることが
大事というお話を目にして~
私がその時に頭に浮かんだ言葉は、
「行間を読む」というワードでした~☆
この「行間を読む」ですが、
著書など書かれた文脈や会話から、
文字に表されていない作者の思いや、
意図をくみ取ることの意で
使われていていますよね!
「空気を読む」ことが、『日本らしい』と
表現されることが多いですが、
それと同様、和歌・俳句など限られた文章から
それ以上のことを伝える、くみ取ろうとするのが、
古来日本人が長きにわたり試みてきて、
今なお根付く『日本らしい』ところなのかなーと。
でもこれ、アートをはじめ、
いろんなことに言えるんだろうなぁと思いまして!
素人の私なので、”ただ一般人として思う”ことと
とらえていただきたいのですが( ;∀;)焦
書道でいえば、墨の「黒」で書いた文字と、
なにも書いていない「白」の部分。
これって、白い部分があってこその
「書」なのかなーと思ったり!
絵画や写真の構図もしかり、
人物がその位置に描かれていて、
使われている色味と手法が全て重なって
一つの作品になっていて。
そうやって、「見てわかること」以上のことを、
自身の中で補って、想像を膨らませて、
「感じ取ろうとする」その”想い”が、
なんともまぁ素敵だなぁと感じまして…☆
細かいことはわからない!専門家でもないし!
でも、『想像』して『感じる』ことって、
その人が生きてきた人生のすべてをもってして、
頭の中で作り上げる一種の「アート」なのかなーとか?!
そう思うと、
人によって感じ方が違うって、
面白いことなんだなぁと(*´ω`*)
なんか語ってしまいましたが、
要するに思い巡らせる時間ってステキなので、
いい機会になるんじゃないかなーということです☆
その機会が「書道」と思っていただけた方は、
是非、青霄書法会へ~♪♪
お待ちしています!